寺院紹介
Temple introduction
交通アクセス
Acccese
お車でお越しの方(駐車場5台有)
山陽自動車道五日市IC→宮島街道(国道2号線)→市道西4区47号線沿い(約15分)
電車でお越しの方
JR広島駅からJR山陽本線宮島方面→JR西広島駅下車→広島電鉄宮島線へ乗換
宮島方面→草津駅下車徒歩1分(約40分)
お車でお越しの際は、駐車場もあります。
縁記
Marriage
慈光寺はもと禅宗に属し文安4(1447)年に隣村古江村ウサギ山草津城側慈光寺畑に創立せられ観世音菩薩を本尊として祭られていた。寛永年間の頃に近村の廿日市禅宗の洞泉寺の住僧金剛禅師が来て古江村に海蔵寺を創立するや慈光寺を領して末寺とする。
元禄14(1701)年に京都満願寺 遠沾院日享上人の弟子普門院日周上人とその弟子良貞坊と共に西国巡化の途にこの地に錫を留めて大いに逆化の法鼓を鳴らす。海蔵寺より当寺山号を譲り受けることになり弟子良貞坊に委ねて日周上人自ら九州行化に向かった。同年11月良貞坊は遂に海蔵寺より慈光寺を譲り受け改宗した。斯くして日周上人は九州より帰陽し先ず三次公儀の許可を得て堂宇を草津浦山陽道わきに移転し営繕改築漸くできあがり翌年11月1日に開堂供養の成儀をあげる。ここに普門院日周上人を開祖とし本山を京都満願寺として日蓮宗普門山慈光寺の創立をみることができた。寛政元年6月不幸にして鳥有に帰してしまった。5年後第五世日等上人は苦心の末遂に再建の大業を成し遂げた。
昭和20年8月6日、広島に原子爆弾が投下されるや当山も破壊のうけみにあい本堂諸堂庫裡も大破したが、先代日正上人鋭意精進努力し檀信徒と共に復興の成業をなしとげた。
平成14年第20世龍遠院日法上人、日蓮大聖人立教開宗750年および慈光寺改宗300年を記念して、山門並びに庫裡の整備を行う。
平成19年6月より、第21世龍淵上人の手により本堂寺観一新を着工し 平成20年8月末に完成をみる。その後、22世恭慈上人が先師の志を守り受け継ぎ、鐘楼堂(梵鐘)を建立し地域と共に歩む寺として精進している。
尚、当山草創より現在に至るまで22代300年余り、又文安4年の起源に遡れば570年余りを経る。
元禄14(1701)年に京都満願寺 遠沾院日享上人の弟子普門院日周上人とその弟子良貞坊と共に西国巡化の途にこの地に錫を留めて大いに逆化の法鼓を鳴らす。海蔵寺より当寺山号を譲り受けることになり弟子良貞坊に委ねて日周上人自ら九州行化に向かった。同年11月良貞坊は遂に海蔵寺より慈光寺を譲り受け改宗した。斯くして日周上人は九州より帰陽し先ず三次公儀の許可を得て堂宇を草津浦山陽道わきに移転し営繕改築漸くできあがり翌年11月1日に開堂供養の成儀をあげる。ここに普門院日周上人を開祖とし本山を京都満願寺として日蓮宗普門山慈光寺の創立をみることができた。寛政元年6月不幸にして鳥有に帰してしまった。5年後第五世日等上人は苦心の末遂に再建の大業を成し遂げた。
昭和20年8月6日、広島に原子爆弾が投下されるや当山も破壊のうけみにあい本堂諸堂庫裡も大破したが、先代日正上人鋭意精進努力し檀信徒と共に復興の成業をなしとげた。
平成14年第20世龍遠院日法上人、日蓮大聖人立教開宗750年および慈光寺改宗300年を記念して、山門並びに庫裡の整備を行う。
平成19年6月より、第21世龍淵上人の手により本堂寺観一新を着工し 平成20年8月末に完成をみる。その後、22世恭慈上人が先師の志を守り受け継ぎ、鐘楼堂(梵鐘)を建立し地域と共に歩む寺として精進している。
尚、当山草創より現在に至るまで22代300年余り、又文安4年の起源に遡れば570年余りを経る。
ライブラリー
Library
歴代上人の紹介
Abbot Successive introduction
- 開山普門院日周上人
- 二世要受院日玄上人
- 三世通勝院日然上人
- 四世貞順院日行上人
- 五世啓誠院日等上人
- 六世宗達院日明上人
- 七世日性上人
- 八世慈譲院日喜上人
- 九世撰如上人
- 十世善能上人
- 十一世康運院日扇上人
- 十二世謙寿院日研上人
- 十三世恵代院日信上人
- 十四世映寿院日乗上人
- 十五世秦真院日学上人
- 十六世龍玉院日研上人
- 十七世正道院日乗上人
- 十八世妙道院日正上人
- 十九世龍淵院日慈上人
- 二十世龍遠院日法上人
- 二十一世龍淵院日慈上人
- 二十二世恭慈院日英上人